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川村悟(青森県議会議員)ホームページ

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政治信条politicalgospel

◎職を持つことを目指しました!
 戦後(昭和22年)、弘前市高杉のりんご農家の末っ子として生まれました。当時はどこの家も貧しく、高校に進学できるのは4割くらいで、多くは家業を継ぐ人と首都圏への集団就職の時代でした。私も高校進学は諦め就職を選択し、東北電力(株)の社員養成課程、東北電力学園高等部(当時は宮城県多賀城町)に入学、電気技術者としての知識・技能習得と現場研修を重ね、昭和41年に社員として採用され、就職することが出来ました。

◎生活や雇用を守るため、政治の役割は重要です!
 現場では配電課・現業部門の仕事をしていましたが、昭和51年から58年までの8年間、東北電力の職場を離れ青森県同盟の書記長として専従し、民間・中小企業労組の世話活動をしました。民主的な労使関係の構築と生産性を高めるための労使協議の推進などについて取組みを進めました。第1次オイルショック後の経済社会が大きく変動する時代にあって、数多くの事業所閉鎖・倒産などが発生し、その都度相談を受け、賃金・退職金などの労働債権を確保する闘いや、職を失った方々の再就職活動などに取り組みました。労働組合の目的は、働く仲間の生活を守り高めることです。しかし、それぞれの職場や地域で出来ることは限られています。雇用と安定した生活を確保するためには、国や地方の政治・行政が、経済・雇用・社会福祉など、様々な分野でバランスのとれた政策を実行することが重要だと痛感しました。

◎額に汗する仲間が報われる社会を!
 昭和58年、東北電力へ職場復帰後、平成3年の弘前市議会議員選挙を前に、職場や地域の皆さんから出馬の要請を受けました。自らの議員活動は考えていませんでしたが、それまでに政治の重要さを訴えていただけに断れ切れず、ついに出馬することとなりました。無一文の私でしたが、皆さんの絶大な応援で当選することができ、以来、三期12年間、弘前市議会議員を務めることが出来ました。
 市議会議員時代には、@弘前公園内の電線の地中化や、A坂道の多い弘前の冬場の交通安全確保のためロードヒーティングの導入にも取り組みました。B弘前市議会は予算委員会。決算委員会などで審議が紛糾し深夜議会が繰り返されていました。三期目に議会運営委員会委員長を仰せつかり、委員会に一定のルールを導入すべく議論を重ね、ルール作りが実現し、以降、深夜議会は亡くなりました。
 平成15年には東北電力を早期退職、弘前市議会議員も2カ月早く辞任し県議選に挑戦しましたが、残念ながら次点で落選を味わいました。しかし、周囲の激励を受けながら4年間再選を目指す活動を続け、平成19年県議選で当選を果たすことが出来ました。以降、3度の選挙で再選を果たすことができました。
 ピンチはチャンス。落選の経験が今の自分を支えていると思います。落選時に実行した「街角スピーチ」(早朝40分程度の演説会・県政報告)今年で17年目、春夏秋冬継続中です。

◎好きな言葉は「友愛と信義」!
 好きな言葉に「友愛と信義」があります。友愛は仲間(人)を大切にすることです。信義は約束を守ることです。今流の言葉では「絆」かも知れません。私は平成6年新進党が結党されるまで、小政党である民社党に所属していました。新進党に合流することで民社党は解党しましたが、「良いことは良い」「悪いことは悪い」と、はっきり言える政党で、そこが好きでした。二大政党を目指した新進党でしたが、党内対立で平成10年には解党・分裂、私は支持者の期待に応えることができなかったので、それ以降、地方議員であれば「無所属で十分活動できる」を信念に、政党には所属していません。県議会では無所属の会派「青和会(3名)」に所属し、現在代表を務めています。何事にも「是々非々」で臨んでいます。
 民社党を結党された故西村栄一先生の言葉に、「三訓五戒」があります。<三訓>「一つ己を捨てよ」「一つ反省を忘れるな」「一つ最後まで粘れ」<五戒>「一つけじめをつけよ」「一つ陰口をつつしめ」「一つ時間を守れ」「一つ言い訳はするな」「一つ愚痴をこぼすな」、今でも呟きながら活動しています。




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